高龍寺



市電「函館どっく駅」から歩いて10分前後。
弁天台場や称妙寺からも近いです。



明治2年(1869)5月11日、箱館戦争は佳境に入り、病院にまで戦禍が及びました。
市内には箱館病院と高竜寺に分院があり、そこに新政府軍、津軽、松前藩士が押し入ったのです。
このとき医者である高松凌雲は、患者の刀や銃などの武器を片付けさせ、
敵意の無いことを示し難を逃れましたが、分院は医師や患者たちが切り殺され、
新政府軍の放った火によって動けない患者達が生きたまま焼き殺されるという惨劇が起こったのです。
亡くなったのは、主に会津遊撃隊の隊士であったと言われています。
彼らを偲んで建てられたのが、この傷心惨目の碑なのです。
(2005年10月10日UP)

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